カテゴリ:イタリア乳がん体験( 34 )
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イタリア乳がん体験 -14- 手術・放射線治療後の体の調子は?
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手術後参加したCORRI LA VITA(がんウォーク) 2009年9月27日
私もオレンジ色のTシャツを着て歩きました。

手術後の体の調子がどうだったのか、振りかえってみました。
ちょっと記憶の薄い部分もありますが、ざっと書いてみます。

手術は2009年6月16日
放射線治療は2009年8月25日―10月3日でした

<術後の傷口>
 手術前には乳首の下を乳輪に沿って切るとの説明があり、横に切るのかと
思っていましたが、実際には縦に切ったようではっきりと傷跡が残っています。
どういう技術かわかりませんが、1針も縫わなかったようで、抜糸はしませんでした。

何故切った所が縫いもしないのにくっつくのか、切ったのに何故痛くないのか、現代の医学とはすごいと単純に感心しました。切ったらさすがにキリキリと痛いのではないかと思っていたのです。

手術直後に胸が2つ折りになったような感じでしたが、後で元の形になり、
傷口は鏡でみるとはっきりとわかりますが、乳首より下なので、自分で胸を見下げた時には見えません。最初はゴロゴロと分厚い感じでしたが、今は大分柔らかくなっています。

それよりリンパ節を取ったあと、腋の下より外側の部分がつままれた様になっている方が気になりました。腕をあげると少しひきつった感じもありました。タンクトップを着ると見えるかもしれませんが、私は真夏でも半袖を着ますし、人には見えないのでとりあえず良しとしました。

夫が以前に同じような状態の女性を見たことがあるらしく、
「つまんだような部分が見えてたけどその人平気にしてたよ。」などと言ってました。
「だからあんたも気にしなさんな」という意味で言ってくれたんでしょうかね。
そのまま忘れてましたが、問題の部分は今見るとあまり目立ちません。

<放射線治療の後> 
赤くやけどをしたような状態。ガサガサした感じはクリームを塗り続けると徐々に良くなり、左の方がやや日焼けしたぐらいに戻りました。クリームは1年ぐらい長持ちし、無くなるまで塗り続けました。今では色は右とほとんど変わりません。

<体の調子など>
手術直後は、スーパーに出かけるぐらいでした。買物は少量だけにし、空いた時間に行くようにしていましたが、最初は手術した左側が誰かにぶつかるとちょっとコワイような気持ちはありました。

8月前半 友人の結婚式に出席 披露宴は行かず

アルコールは医師の指示があったわけではないのに、手術直後は飲みませんでした。お酒がまわって、傷口がドクドクいってきたらどうしよう、などと思っていました。

それなのに、9月4日には、カラーラ市であったビール祭りに夫と出かけ、何故か1リットルのジョッキを頼んでしまい。一人で全部飲んでしまいました。
その後1週間ぐらいはビールを見るのもいやでした。ただの二日酔いです。

9月13日に自転車で出かけ「体を動かすのは大切だなぁ」と思ったというメモあり。

放射線治療中、せっかくバスで毎日のように旧市街地区に行くので、週一回ぐらいのペースで教会、美術館など、何年もしていなかった市内見学をしました。眼鏡、老眼鏡、オペラグラス、ガイドブック持参。

9月27日 「 CORRI LA VITA 」 に参加。フィレンツェで毎年9月末に行われる「がんウォーク」で、参加費は乳がん研究にあてられます。数年前から参加していたのですが、自分が患者になって参加するとは思わず。ちょっと不安でしたが、ゆっくりと5km歩けました。

<現在(術後3年)> 
普段は胸の手術のことは忘れていますが、天気の変り目 雨が降る前に痛いわけではないのですが、ここに傷口がある、という感じがわかります。
そういう話は手術経験者から聞いていましたが不思議ですねぇ。

薬の副作用と思われるのぼせがありますが、しょっちゅう顔が熱くなる時とならない時期があったりします。今は結構カーっとなっています。薬やフォローアップについてはまた別に書きます。

イタリア乳がん体験 -15- 薬について...どこまでが副作用?に続く



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Top▲ | by hpopone | 2012-04-28 04:14 | イタリア乳がん体験
イタリア乳がん体験 -13- 放射線治療 タンクトップで、それとも...
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ピサ植物園にて

2009年8月
治療開始日の連絡があるまで、夫とシエナやピサなどへ日帰りで行ったりしていました。
ピサへは斜塔ではなく、植物園へサボテンを見に行ったのですが、とても暑かったのを覚えています。


2009年8月25日 放射線治療 開始 (サンタ・キアーラ)

初日。受付に行くと、私が何も言わないのに「今日からですね。座ってお待ち下さい」と言われました。東洋人の患者が私だけだったんでしょうね。

呼ばれてエレベーターで地下へ降りると着替え用のブース3つがありました。とても狭く、太った患者さんは入れないのでは、と思うほどでした。そこで上半身裸になり、ひもの細いタンクトップを着ました。照射用のベッドに横たわった時点でひもを下げて胸を出し、終わるとまた着てブースに戻ります。

照射は右からと左わき、各2分ずつぐらい。この日は印をつけるために針を刺されました。
その後、がん専門医による診察。聴診器でまず聞いて、わきの下、首、胸の触診。
他の治療は何をしているか、タモキシフェンを飲んでいるかを聞かれました。

帰りに受付で渡されたスケジュール表を見ると、平日の毎朝10:50に治療となっていました。

最初の3回は夏休み中だった夫も付き合ってくれ、終わると旧市街地でぶらぶらしたり、見学したりしましたが、せっかくの夏休みをこういうことに使わせてしまい、
申し訳ないなと思っていました。

毎日の治療は、日によって、早めに開始する時もあれば、待たされる時もあり。
他の患者さんも決まった時間帯に来るので顔なじみになります。
聞くと私の前の人も後の人も乳がんの患者さんでした。

一人は同世代の女性で、のぼせと汗のため、いつも首の後ろにTシャツを巻いていました。リューブリン注射の副作用とのことでした。この人は、タンクトップも何も着ず、バッと脱いでそのまま照射室に入り、終わると胸を張って出て来てました。リッパなバストとその堂々とした態度に「おおー」と感心したものです。

もう一人は60代ぐらいで、「以前に左胸の手術をしたが、10年経って右側にもがんが見つかった。以前にあったがんが大きくなったのではなく、別のものなので、あまり心配していない。友人や知り合いに検査は大事だから受けるように勧めている。」、と言われていました。

今思い出すと、他の人たちと話したくなる日と、どういうわけかしゃべりたくない日があったように思えます。そういう時はあいさつだけして終わったらさっさと家に帰っていました。

頭にスカーフを巻いている女性も来られてましたが話す機会がありませんでした。
車いすに乗って家族に付き添われていた患者さんは、普段挨拶しても返事もしてくれないのに、ある日、「さようなら」と皆に手まで振って帰って行ったので、長い治療が全部終わったのだなとわかりました。うれしそうな顔でした。

治療が半分ぐらい終わった頃、がん専門医がチェックに来ました。放射線をあてた胸の状態を見ていました。問題なしとのことでしたが、この数日後あたりから、胸は赤く変色していて、肌がガサガサするような感じでした。

胸には、経験者に勧められたカレンドゥラというクリーム (Crema Calendula)を塗り、
体を洗う時は、 Bagno Mare GUAM (海藻成分入り)を使っていました。

最後の3回は傷口だけに照射します。と言われ、もうすこしで終わりだなぁ、と思っていたら、翌日、治療に出かけようとしている時に、「今日は機械の調子が悪くてできません」と電話があったり、「次回は技師の研修があるので延期です」ということもありました。

2009年10月3日
ついにやってきた最終日には、技師がIn bocca al lupo(グッドラック)と言って送りだしてくれました。医師の診察があり、書類にサインし、3ヶ月後の12月の診察の予約を入れてもらってようやく終了しました。


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Top▲ | by hpopone | 2012-04-25 08:59 | イタリア乳がん体験
イタリア乳がん体験 -12- 放射線治療 いつ始まっていつ終わる?
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放射線治療を受けたサンタ・キアーラ病院 2009年10月3日撮影
「CASA DI CURA S.CHIARA」 Piazza Indipendenza に面した建物。
(現在、放射線科の入り口は建物の反対側に変っています。)

(1)2009年7月31日 受付と検査の説明 医師による診察 (サンタ・キアーラ)
(2)2009年8月3日  がん専門医(M医師) (トレガッリ内がんセンター)
               翌日よりタモキシフェンの服用開始。
(3)2009年8月6日  準備 照射の個所に 印をつける (サンタ・キアーラ)
(4)2009年8月25日 放射線治療 開始 (サンタ・キアーラ)
(5)2009年10月3日 放射線治療 終了 (サンタ・キアーラ)

というスケジュールでずいぶん通いました。

患者としてすぐに受付はしてもらえたものの、いつ治療開始か担当の人にも全くわからないとのことで、落ち着かない気持ちで連絡を待ちました。
イタリアでは「急に言ってくる」ことが多いのですが

「明日から開始しますので来て下さい」との連絡があった時には、少々驚きました。
が、返事はもちろん「行きます!」早く始めたらそれだけ早く終わります。

途中、病院の都合で延期になったりして、「やはり」当初のスケジュールより長くかかり、
終わったのは10月に入ってから。これもイタリアでは良くあることで、もはや驚かず。

最終日は土曜日だったので夫もつきあってくれ、病院の前で治療が終わった記念に撮ったのが上の写真です。

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以下に詳細を書きます 興味のある方はどうぞ

(1)2009年7月31日 受付と検査の説明 医師による診察

受付にて、コンピューターで私の氏名住所など登録。A3ぐらいの厚紙で作ったフォルダー
に今までに病院や検査機関でもらった書類を放り込みます。

次に医師の診察室に通され、例によって色々質問されました。

家族で乳がんになった人は、初潮はいつだったか、妊娠経験は、喫煙の有無、
ピルは飲んでいるか、他に手術を受けた経験があるか、
今回の乳がんに関してはどこで検査して、どうやって判明したのか...

放射線治療によって患部を消毒(sterilizzare)します。という言葉を使われましたが、
万一残っているかもしれないがん細胞を死滅させるという説明でした。

計28回行われ、週5日のペースで通院することになる。
中性の石鹸を使い、綿の服を着ること、脱毛はしないこと。
治療開始の日に家庭医による治療依頼書(richiesta medica)を持ってくること。

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(2)2009年8月3日 がん専門医(M医師)トレガッリ内がんセンターDAY HOSPITAL

手術で摘出したリンパ節の一部は、検査の結果陰性でした。
検査結果のコピーをもらいました。

タモキシフェンの服用について。服用開始当初は腹痛などがある場合があるが、数週間で無くなる。
副作用として生理不順、更年期の症状が出る。不正出血があれば服用をやめる。
朝食後、または昼食後に服用すること。との説明がありました。

5年間服用するということでしたが、「5年なんてすぐに経つ」なんて思ったのを覚えています。翌日から服用開始。

放射線治療が終った後10月後半にまた診察します。と言われたので早速がんセンター受付で予約を申し込むと、
「医療費免除の書類がないですね」と言われあたふたしました。
その時初めて知りました。がん患者にはcodice esente (医療費免除番号)というのが割り当てられ、がんと診断されて以降5年間は公的施設での検査や薬が無料になります。なんとー。まずこの手続きを済ませてから予約に戻って来ることにしました。

受付の人はちょっとキツめの口調でしたが、こういう大事なことを教えてもらって感謝。

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(3)2009年8月6日 準備 照射の個所に 印をつける (サンタ・キアーラ)

地下の部屋に行くよう指示され、迷いながらたどりつきました。

針で左の乳房の真ん中、両わきの3か所を軽く刺します。
照射のための印をつけるためだそうで、
「入れ墨の様なものなのでこれは消えません。」とのこと。
ここにきて人生初のタトゥー。確かに3年経ったいまでもありますこの小さな黒い点。
この日家で着替えると下着にちょっと黒い点が付いてました。まっさらな下着でなくてよかった。

長くなりましたので続きは後日書きます。

→ イタリア乳がん体験 -13- 放射線治療 タンクトップで、それとも... に続く
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Top▲ | by hpopone | 2012-04-23 02:49 | イタリア乳がん体験
イタリア乳がん体験 -11- がんセンターへ 治療方法決まる
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     現在服用中の薬 タモキシフェン
     飲むのに、「飲まへんNOMAFEN」という名前 (ああ書いてしまった)

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2009年7月22日

摘出した患部の組織検査esame istologicoの結果、約5mmの 非浸潤(in situ)がんであることがわかりました。
「Bene!(良かったですね)」と言いながら結果を渡されたのですが、
浸潤がんでなかったから良かったという意味か!?
「リンパ節も取ったはずなのに、検査結果をくれなかったのは問題がなかったからかな?」と夫と家で話ました。
この外科医は手術をしてくれた先生とは大分違う様でした。説明がほとんどなかった。

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2009年7月23日

とにかく前日勧められた通り、がんセンターの医師が診察している所へアポ無しで行きました。今までの検査結果などを看護師さんに渡すと、幸いこの医師は診察の合間にすぐ目を通してくれ、がんセンターでの診察予約がすぐに取れました。係の人もとても親切でラッキーでした。
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2009年7月29日

手術をしたトレガッリ病院の中にあるがんセンターでがん専門医の診察を受けました。担当は女医さんでした。このM医師は、にこやかで、親しみやすい印象でした。

持参した書類一式を見て、「リンパ節の組織検査の結果が無いようですが?」と言われ、
ああーやっぱり、前日の医師が渡し忘れたにちがいない。と思っていると
「次回までに私が取り寄せておきますよ。その時あなたにもコピーをあげます。」と言われ安心しました。これはまた良い先生に「当たり」かな。

私の場合は「摘出した組織の性格からみて、
化学療法は効果がなく副作用があるだけなので必要なし。」
「放射線治療radioterapiaを受けてください。今後の予防の意味もあります。
1回の時間は短いですよ。」とも言われました。
それまでにこの治療について本などで読んだことがあったので、「それは有難い。」なんて思ってました。治療は別の病院ですることになっていますが、M先生がその場で連絡し、治療開始前の診察予約を取ってくれました。

タモキシフェンTamoxifene(イタリア語ではタモキシフェーネ)については、「女性ホルモンを低下させる薬で、5年間服用します。これも予防の意味で」と言われつつ、少し迷われていました。「あなたの場合は飲まなくてもいいぐらいですがねぇ。婦人科の医師にも相談してみてください。」とのことでした。

手術をして「ハイ終わり」とはいかなかったですね。それにしても、「やっぱりがんでした。」と言われても、なかなか自覚できないものですね。それまで痛くも痒くもなかったせいもあります。「切っといてもらって良かったー」というのがその時の気持ちでした。


→ イタリア乳がん体験 -12- 放射線治療 いつ始まっていつ終わる? に続く
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Top▲ | by hpopone | 2012-04-21 04:12 | イタリア乳がん体験
イタリア乳がん体験 -10- 退院後..胸がしぼんで?検査結果は?
退院翌日、切った方の左腕をかばいながら、右手だけで洗濯物を干した記憶があります。片手でもけっこう色々なことができるものだと喜びました。

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退院後買ったもの

<ホームベーカリー >   当時手こねでパンを作っていたのですが、手術後は無理。
                 以前から興味のあった「パン焼き器」をこの機会に購入。
<マッサージクッション>   無意識に胸をかばうせいか、肩がとても凝った気がして。
<携帯用DVDプレーヤー> ついでというか勢いで。
                  キッチンに居る時間を楽しくするのが目的。
 
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2009年6月25日(術後9日目)

手術後のチェック。病院にて、胸とわきの下の正方形の絆創膏をはがし、わきの下のみ新しいものを貼られました。薬は塗らず。
「日曜日(術後12日目)にはシャワーして良い」と言われヤッター。

医師からは「今年は胸は太陽に当てないこと」と言われましたが、これって「海辺でトップレスになるな」という意味!はいはい。今年だけはやめときましょ。

なーんて..水着を着ることすら無いというのに。イタリア人女性は40代でもそうやって日に焼けている人が実際いますから、医師としては注意を与えておく必要があるんでしょうね。

この日は患者が少なかったのか、早めに行ったら指定時間前に見てもらえ、すぐに終わりました。珍しいですが、こういう事もたまにあります。

この後、家に帰って初めて鏡で手術後の自分の胸をみました。おおお。
乳房が前に倒れたようにへしゃげています。なんとお~。
こんなに変形してたとは!!さすがにちょっとショックでした。(ちょっとだけ?)

また膨らんで元の形になるんでしょうか。再建手術とかしないといけないのかな。なんて思いましたが、手術前にそういう説明もなかったし、戻るんじゃないかな?と思うことにして、医師に聞きもしませんでした。
気をとりなおし、「まあ左はこんなだけど、まだ右があるし。」と思い、とりあえず、「しばらくは手術後の胸を見ないようにしよう。」と決めました。

(→結局後で膨らみ、元の形になりました。人間の体とは不思議なもの...)

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2009年7月22日

手術後約1カ月経ち、摘出した患部の組織検査esame istologico
の結果が出ました。

執刀医とは別の外科医が「Bene! (良いですね)」と言って紙を渡してくれましたが、

書類には「carcinoma(癌)」と書いてあります。どこが「良い」のか!?
なんちゅう医者でしょう。

今後はどうしたらいいのでしょう。診察などは?
「そうですねぇ。CUP(予約センター)だといつになるか分かりませんから、明日担当医が1Fで診察してますので、とにかく行ってみられては。」などと言われます。夫の顔色が変ってました。廊下に出て、私が椅子にすわってもう一度ゆっくり読もうとすると、
「とにかく家に帰ろう」と言われて従いました。どうやらこの日初めて私は「がん患者」となったようでした。翌日熱を出したのは夫の方でした。



→ イタリア乳がん体験 -11- がんセンターへ 治療方法決まる に続く

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Top▲ | by hpopone | 2012-04-20 02:46 | イタリア乳がん体験
イタリア乳がん体験 -9- 手術前の準備 パジャマは入れたのか?
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病院の写真ばっかり見るのも疲れますね。
上は2012年4月1日の街の様子です。

《入院前にやったこと》
《入院するときに持って行ったもの》
をまとめてみました。

入院当日の朝、夫に「パジャマはバッグに入れたか?」と言われるまで、病院で貸してくれるものとばかり思っていました。「持って行くもののリストに書いてなかったよ。」
と文句を言う私に、「当然のことだから書いていないのだっ。」と夫。あぶなかった。あわてて詰め込みました。
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持ち物リスト

TESSERA SANITARIA(保険証)
CODICE FISCALE(納税者番号)
(保険証にも記載されているので要らないとは思いましたが一応)
マンモグラフィー、エコー、診断書など、病院でもらった書類全部
普段服用している薬
コップ、ナイフ、フォーク、スプーン、(箸)食事用の紙ナプキン
ゆたりした前開きのシャツ スリッパ
下着、靴下、タオル、肩掛け(冷え症なので)
歯ブラシ、歯磨き、化粧品など ティッシュ、ウエットティッシュ
文庫本 眼鏡と眼鏡ケース 筆記用具 メモ用紙
指輪、腕時計など貴重品はつけず、お金は小銭のみ
※パジャマを忘れずに
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入院する前に病院でくれた「パンフレット」の一部です。手を消毒するのがいかに大切か、という内容ですが....読めない。何回ぐらいコピーのコピーをしたらこうなるんでしょうね。他に、「痛み」に関するパンフレットももらいましたが今探しても見つかりませんでした。こちらのほうはカラーでちゃんとしたものだったので残念。
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前日にやるよう指示されたこと

午後7時に自分で注射 Fragmin2500
夕食は軽めに
午前0時より絶食 水も飲まない
常用している薬を朝服用する必要のある人は、手術当日朝6時、少量の水で飲むこと。

シャワー、シャンプーをし、おへそもよく洗うこと
爪切りをし、マニキュア、ペディキュアを取る
香水、パウダー、ボディーローションは付けないこと

これらをイタリア語で書いた紙をもらったので、日本語に直して大きめの文字で印刷して一つ一つチェックしました。
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ネット検索

手術の連絡があるまでの間、病院での説明や質問が解からなかったら困ると思って、まず日本語で乳がんの検査方法や治療法など一般的なことを書いてあるサイトを読み、次にイタリア語のサイトを少し見ましたが、うーん日本とちがって写真なども少ないし、大分雰囲気が違うなぁという印象でした。とにかく見つけた以下の二つのページを印刷し、検査を待っている間などに読むようにしました。辞書を引いた所もありますが、実際は読んだのか読まなかったのか...やはり落ち着かなかったのだと思います。


LE 18 DOMANDE PIU’ FREQUENTI SUL TUMORE AL SENO
(乳がんに関する18のよくある質問)


Quel che conta è la diagnosi
(大事なのは診断です)
古い記事です(2003年)


2009年の話ですので、今はもっと見やすいサイトがあるとよいですね。
他に家にあった雑誌に全身麻酔について書いた記事を見つけたのですが、結局は読みませんでした。私は初めてする麻酔というものが一番不安だったのだと思います。「ちゃんと目が覚めるのか....」「しかし、イタリアも先進国なのだし、大丈夫」、と思うことにして手術に向かいました。


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Top▲ | by hpopone | 2012-04-19 00:22 | イタリア乳がん体験
イタリア乳がん体験 -8- 手術翌日 退院 夫は待ちぼうけ
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病院の案内板
これを見るとよけい迷子になりそう


2009年6月17日 手術翌日
目が覚め、イタリアでの入院には耳栓か音楽プレーヤーが必要だったかも、と思っていると6時過ぎにブラインドが斜めに開けられました。(なんでまっすぐ開けないのだ?)同室の人も起きたようだったので、携帯をONにし、夫にメールで連絡。

手術後の痛みは無かったように思います。(メモに何とも書いていないので痛くなかったんでしょう。痛かったら覚えているはずだし...)

8:00血液検査
8:30点滴のチューブをはずしてトイレ。メイク。ベッドに戻ると看護師さんが再びチューブを付けてくれましたが...1本だけ付け、もう1本は忘れられたので呼び戻し、無事2本目も付けてもらいました。シーツも替えてくれました。本日「チェックアウト」予定なのに。

朝食を食べるか聞かれて「イエス」と返事しましたが、朝食といっても
砂糖の入った紅茶とフェッテビスコッターテ2枚のみ。
e0275785_2353596.jpgフェッテビスコッターテ
FETTE BISCOTTATE
とはトーストを乾燥させたような物。イタリア人はこれにジャムを塗ってカフェラテにつけて朝食にしたりします。

←これは再現写真。病院へはプラスチックのコップを持って行っていました。



その後、知らない女性(患者さん)が来て「具合はどうですか」と聞くのでびっくりしていると、前日義母が私の手術中にこの患者さんとおしゃべりしていたらしく、「日本人嫁」のことも聞いたとのこと。「日本といえば天皇陛下がいらっしゃるわねぇ。」とかいきなり言いだされ何故かと思ったら、関連の記事を最近雑誌で読んだからだそうでした。他にもボランティアの人がフリーペーパーを持ってきてくれたり、教会関係の人が各病室で患者さんと二言三言会話をして回っていたようでした。

9:30ビアンキ医師(執刀医)の回診
「朝食は食べましたたか?」「はい。」、「吐き気はありますか?」「いいえ。」と答えると、「ではもうすぐ家に帰れますよ。」そして、私がメモをしてた紙を見ながら「日本語はちょっと勉強してみたけどむずかしいですねぇ。」などと言われてました。

10:00 2回目の診察 胸に貼られていた大きな絆創膏(みたいのもの)をはがし、薬を塗られました。新しい絆創膏は「小さいのでいいですね」と看護師さん同志で話すのを聞いて、「へいへい、どうせ胸小さいですよ」と心の中で答えてました。

「患部は濡らさないこと。6日間注射をすること。麻酔にかかっていたから血が足の方に行くのを防ぐためで、腕の外側などに刺すように。お腹に刺すのは勧めない。食事は普通にしてOK。」

「リンパ節は手術で1本だけ取り、全部ではない。腕は動かしてもよい。氷は痛みがある時だけ。細胞診の結果は約30日後。締め付けないブラを付けて下さい。」と説明・注意がありました。

その後、先生が書類にサインをして午後11時ごろ晴れて退院。...でしたが、

早くから迎えに来てくれていた夫は外科病棟の中になぜか入れてもらえず、外で2時間も待たされ、その間私とはメール交換していましたが、不審に思った私がパジャマを着たまま受付まで行ってやっと中に入れてもらいました。どうやら受付の人の機嫌が悪かったのが原因だと思われます。それでもなんとかビアンキ医師の話を一緒に聞いてもらうのに間に合いました。

※病院関係で一番腹が立ったのはこの時かもしれません。イタリアで何かにつけ待たされることには大分慣れていたつもりですが、色々と心配をかけた家族を意味もなく待たされたことは許せません。

手術の後、前あきのゆったりしたシャツを持ってくるように言われていたので、腕を吊らないといけないのかと思っていましたが、その必要もなく、普通の前開きシャツを普通に着られました。夫の車で帰宅。初めて受けた手術が無事終わりました。



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Top▲ | by hpopone | 2012-04-18 00:15 | イタリア乳がん体験
イタリア乳がん体験 -7- 手術本番 よく寝た?
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「トレガッリ」病院
入口廊下にあるインフォ
メーションブース

案内役の人は居たり
居なかったり...







2009年6月16日 手術当日
手術室に入る前に、「これをかぶって」とシャワーキャップのような帽子を渡されました。右手首に針を刺され、チューブをつながれます。この間看護師さんが話かけてくれました。患者の気持ちをほぐすためでしょうか。私も色々と返事をしました。

ここで執刀医のビアンキ先生が登場。「マンモグラフィーのフィルムは持って来られましたか?見つからないのですが。」と真剣な顔で言われます。忘れたはずはないんだけど...結局封筒のなかに残っていたのが見つかりました。先生良く見て下さいよーあせりましたよー。

手術室に入ってからも、看護師さんらが準備をしながらにぎやかに雑談していました。
私は近眼なので室内の様子はほとんどわかりませんでした。

移動ベッドから手術台に乗せられ、布(?)を上からかけられた後、私が着ていた手術着は側面をハサミで切って引き抜かれました。すっぽんぽんです。切ってしまうのなら最初から着せなければいいのに?なんて思いました。はは。

手術台に乗ると頭が低くて呼吸しにくい感じがありました。体にいろいろと付けられ(心電図用でしょうか)両手を固定されます。酸素マスクがちょっと息苦しい感じ。看護師さんがtranquilla(大丈夫ですよ、落ち着いて)と言ってくれます。

「このチューブからすこしずつ麻酔が入りますよ」
と言われてから後は何も覚えていません。

大きな声で名前を呼ばれて目が覚めた瞬間、「あー良く寝た」という感じでした。
実際こんなに熟睡できたのは何年ぶりだろうと思うぐらい気分が良かったです。
せきこむと、「のどが痛いのは普通ですよ」だそうで、しばらくはガラガラ声でした。

麻酔医からは痛み止めの説明。「チューブで少しずつ降りてくる形になっているけれど、量は少ないから、痛くなるのを待たずにこのスイッチを押して下さいね。そうすると薬が流れるようになっていますから。」この時点では痛みは全く感じませんでした。

ビアンキ先生には「いやー先生よく寝ました」と言うと「もっと寝てていいですよ」と言って笑われました。病室に戻ってからも回診があり「水は口を濡らす程度にしてください。今日は食事はできませんが丸一日絶食でも人間死にません。」とのお言葉でした。

時計を見ると17:50 義母は手術の間ずっと待っていてくれました。ほどなく夫がやって来たので、ガラガラ声のまましゃべったせいか疲れてしまい、家族が帰った後はずっとうとうとしていました。

隣のベッドの患者さんには入れ替わり立ち替わり10人以上の人がお見舞いに来てました。そのうち年配の女性ひとりが私にも「何か必要なものがありますか」と聞いてくれました。「いえ何もいりません」とお礼を言って、私はうつらうつら。消灯後もお隣にはお見舞いの人が来ていました。時間外だと思うのにいいの?看護師さんたちもうるさいし、さすがイタリアだ。と思いながら寝てました。

夜勤の看護婦さんが夜中にトイレに行かせてくれました。チューブをつながれたまま、点滴の台をガラガラと押しながら行こうとすると、「頭を上げて!」と指導されました。用を足している最中に、大声で、「毛布は要りますか?」なんて聞いてきます。なんとオープンな状態。このあと朝まで寝ました。

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Top▲ | by hpopone | 2012-04-16 00:15 | イタリア乳がん体験
イタリア乳がん体験 -6- いよいよ手術?まだですか?
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「トレガッリ」病院入口。
右手の建物が古い病棟。新しくきれいな玄関が出来ていてびっくり。現在も増築中。
OSPEDALE SAN GIOVANNI DI DIO (TORREGALLI)

2009年6月
さて、いよいよ手術日の連絡がありました。しかし、その翌日、「担当のビアンキ先生がこのスケジュールでは無理と判断され、数日後に延期します。」との連絡が入りました。まさかのフェイント!!しかも、「もう1つ他の検査を受けてもらわないといけないので、もう一度病院に来てもらえますか?」とのこと。これで、手術前に5回も病院に通ったことになります。

こういうことがあると、仕事を持っている人は大変でしょうね。幸い(?)私は無職ですので職場に休みをもらったり、失業を心配する必要がありませんでした。夫も「逆に無職で良かったな」と言ってくれました。

もう一つの検査とは、カレッジという他の病院でしかできないので、手術当日そちらで検査を受けた後、当病院まで来てください。と説明がありました。検査は朝8時。「それが終わって何時までにこっちの病院に入ればいいのですか?」と聞くと、「終わり次第来て下さい。」とはなんとアバウトな...うーむ。

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2009年6月16日

いよいよ、手術当日。カレッジ病院での検査。フィレンツェで一番大きな病院で、何科がどこにあるかもよくわかりません。夫が前日に私が検査で行くべき建物を下見してくれていました。夫の車で早めに行き、7時半に受付を済ませて8時に検査。
Linfoscinitigrafiaリンフォシンチグラフィア(リンパ節シンチグラム=リンパ節の位置を調べるための検査)

「この後手術なので、検査結果はすぐもらえるんでしょうね」などと看護師さんに念を押したりしました。2つの病院の間にはちょっと距離があるので、忘れたからといってすぐに持って来てもらえないし...イタリア人がハイハイと言っても忘れることがよくあるので心配でした。

午前10時前にトレガッリに到着。6Fの外科で受付。
またしても、普段服用している薬の名前、一日何錠飲むのか、職業、最終学歴、身長、一日何時間寝るのかなど聞かれました。
次に病室に入り、ロッカーに荷物などを置きます。2人部屋でした。ここで夫は仕事へ向かいました。

看護師さんが「ワキの無駄毛は処理しましたか?」と聞かれました。「ハイハイ。」
その後もまた聞いてくるので腕を上げてホラホラと見せて上げたら納得されました。
私の手術は何時ぐらいになるのか尋ねても誰にも分からないようでした。

持っていった文庫本を読みながら呼ばれるのを待っていると、隣のベッドの患者さんが手術を終わって運ばれてきました。看護師さんが身体をふいてあげたりして...カーテンがないので丸見えです。手術を終えたばっかりの患者さんを見るのは生まれて初めてで、さすがにちょっとビビりました。

午後2時半ごろついに呼ばれました。眼鏡をはずし、紙みたいなグリーンの患者用手術着を着ました。「ぜんぶ脱ぐんですか?」「ハイ!」と言われ下は全裸。移動用ベッドに乗せられます。このタイミングで、別のスタッフが
「あなたの宗教は何ですか?」と聞いてきます。
「仏教ですけど、何故ですか?」
「輸血をしてはいけないという宗教の方がいるため、その確認です。」なーんだ。
私はまた、万一手術中に死んでしまった時に仏教のやり方で葬式をしてくれるのか?ととっさに思ってしまいました。何しろ生まれて初めて全身麻酔の手術を受けるので、「ちゃんと目が覚めるのかな?」という不安は持ってました。ハイ。

午後になって義母が来てくれていたので、ベッドの上から「行ってきます」と手を振り、
エレベーターで2Fに降ろされると、雰囲気はガラっと変り、ちょっとコワイ感じ。
マグロ解体場のようにも思えました。いよいよ手術室に入ります。



→ イタリア乳がん体験 -7- 手術本番 よく寝た? へ続く


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Top▲ | by hpopone | 2012-04-15 03:57 | イタリア乳がん体験
イタリア乳がん体験 -5- 手術前の面談、検査
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手術を受けた病院

SAN GIOVANNI
DI DIO が正式名ですが
長いので「トレガッリ」
TORREGALLIの通称で呼ばれます。





以前に来たことはありましたが患者として来るのは初めて。不安な気持ちはありましたが、増築されて入口などきれいになってるのを見て気持が多少明るくなりました。

メモを見ると手術を受ける前に検査などで4回行っています。
外科医との面談
手術前の検査
麻酔医との面談
サイン 手術前の準備についての説明

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外科医との面談 2009年5月8日

マンモグラフィー、エコー、細胞診の結果など過去のものも含めて持っていきました。ビアンキ医師はそれらを見たあと、触診もされました。
その後、手術に関する説明がありましたが、初めに「言葉で分からない所があったら訊いてください。」と言われました。こういうことを言ってくれる医師は少ないので、これだけでよい先生にあたったと喜びました。

「手術は1カ月~1カ月半後。患部の大きさからみて乳首のラインに沿って切るためあまり跡は残らないはず。」「手術後10―15日間は安静にするように。」  そして、

「ブラジャーは着けておられないようですが、手術後は乳房を保護するために着けるようにして下さい。」

って、さっき触診の前に先生の目の前でブラはずしましたけど?...私の胸の大きさからみて普段してないだろうと思いこまれたのかな?ちょっと笑えました。

私が「手術の費用はどれぐらいかかるのでしょうか」と尋ねると「ふっ」と笑われたようでしたが、こういった手術は公立病院では「無料」なのです。そうとは聞いていましたが、ほんとですか~って確認したかったのです。

いや~なんと太っ腹なイタリアの医療制度!

この頃から、これまで何かと面倒で文句を言っていた医療制度について、私の態度も変わってきたようです。現金なもんですね。

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手術前の検査 (esami preoperatori) 2009年5月18日

 血液検査、心電図の後、1時間ぐらい待たされ、地下でレントゲンを撮影して終了。

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麻酔医anestesistaとの面談 2009年5月21日

色々と質問をされました。
体重、喫煙するか、過去に手術を受けたことがあるか、現在服用している薬は...

当時鉄分補強のための薬を飲んでいましたので箱ごと持って行って見せました。
他に入れ歯の有無も聞かれたと思いますが、普段使うdentieraではなく、protesiという言葉を使うので、すぐには分かりませんでした。

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サインなど 2009年6月5日

マンモグラフィー、エコーなどの検査結果、服用している薬の箱を持参。
手術を受けることに同意する旨の書類にサインしました。

看護師が手術前日にすることをていねいに教えてくれました。家で注射をするように、と言われその注射器も渡されました。うはー自分で注射するなんて初めてですが針が細かったのですっと入って痛くもなく、なんとか自分でやりました。

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このへんはメモも詳しく取っていなかったので聞き違い、記憶違いがあるかもしれません。この後、手術日が決まったら電話がかかってきてやっと手術です。



→ イタリア乳がん体験 -6- いよいよ手術?まだですか? へ続く


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Top▲ | by hpopone | 2012-04-14 21:56 | イタリア乳がん体験

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